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「きそ」

【第92回】「きそ」


険しい木曽谷に伸びる中央西線の優等列車は、特急「しなの」が「(ワイドビュー)しなの」として現在もその名を残している。しかし、「しなの」に先がけて中央西線初の優等列車として登場したのが、60.3改正で廃止された急行「きそ」だった。

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数々の「分家」を輩出した客車準急時代

昭和34(1959)年に名古屋〜長野間の夜行客車準急に命名された「きそ」は、1970年代は客車、気動車、電車が勢揃いした時期もあったが、最後は夜行客車急行1往復のみが残り、昭和60(1985)年3月改正で廃止となった。

急曲線と勾配が点在する中央西線は、戦後間もなくまで優等列車の設定はなく、もっぱら蒸機牽引の普通客車列車が主力だった。そのため、名古屋〜長野間に至っては所要時間が10時間前後もかかるという有様で、戦後初めての抜本的なダイヤ改正となった昭和23(1948)年7月1日改正では、同区間に夜行準急1往復が設定された。その当時のダイヤは801列車/名古屋22時35分→長野5時55分、802列車/長野22時30分→名古屋5時44分で、普通列車に比べて3時間近いスピードアップになったものの、特急「(ワイドビュー)しなの」が同区間を2時間台で走破している現在から見てみると、まさに隔世の感があるといったところだ。 当時の中央西線では、まだ昼行優等列車の設定がなかったため、目的地で時間を有効活用できる夜行準急はかなりの人気を集めていた。この状況は、昭和28(1953)年11月11日に中央西線初の昼行優等列車である準急「しなの」が登場しても変わらなかったため、昭和30(1955)年7月から名古屋〜長野間に不定期夜行準急1往復が設定された。この列車は昭和32(1957)年10月1日改正で定期列車(809・810列車)に格上げされ、中央西線の夜行準急は2往復となった。なお、この間の昭和31(1956)年5月10日には、定期準急807・810列車に3等寝台車ナハネ10の連結を開始、昭和33(1958)年2月1日には落成したばかりの2・3等寝台合造車ナロハネ10に置き換えられている。 この夜行準急2往復は、昭和34(1959)年9月22日改正でようやく愛称名が付けられ「きそ」と命名、「きそ1号」「きそ2号」となったが、同年12月13日には、大阪発着の中央西線準急として夜行の「ちくま」が新設されたことから、下り「きそ2号」はそのスジを「ちくま」に譲った。その関係で、下りは2本中1本が昼行、1本が夜行、上りは2本とも夜行という変則運転となった。しかし、昭和36(1961)年3月1日改正では、下り夜行、上り昼行の不定期1往復が増発されて、「きそ」は1往復が昼行、2往復が夜行となり、この変則状態が解消された。 この時点で、「きそ」は下りが定期昼行1本、定期夜行1本、不定期夜行1本、上りが不定期昼行1本、定期夜行2本の陣容となったが、昭和36(1961)年10月1日改正を迎えると、中央西線に夜行気動車急行「あずみ」が増発された関係で「きそ」のラインアップが見直され、上り不定期昼行1本を定期化、上り定期夜行1本を不定期化し、夜行2往復は1往復が不定期列車となったが、この列車は定期夜行の「きそ」と区別する意味で「おんたけ」に改称され、昭和42(1967)年10月1日改正まで運転された。 このように、36.10改正後の「きそ」は定期昼夜行各1往復の陣容となったが、翌37(1962)年12月1日には、昼行「きそ」と長野〜新潟間の気動車準急「あさま」を統合する形で名古屋〜新潟間に急行「赤倉」(現・廃止)が誕生したことにより、「きそ」は登場時と同じ夜行1往復に戻ってしまった。また、同日には、長野県内のビジネス利用を意識した準急「きそこま」が多治見〜長野間の下りに登場している。昭和41(1966)年10月1日改正では長野〜中津川間に上りも登場したが、こちらは翌42(1967)年10月1日改正で名古屋まで延長する形で急行「しなの」に吸収され、「きそこま」は再び下りのみの運転に戻っている。

44.10で最盛期を迎えるも58.7以降は夜行1往復のみに

43.10改正では「しなの」「あずみ」「つがいけ」「きそこま」といった気動車急行が一気に「きそ」に吸収され、中央西線全線電化時まで昼行「きそ」はキハ58型気動車グループの独壇場となった。

昭和43(1968)年10月1日改正では、中央西線にも特急が誕生し「しなの」と命名された。これにより、これまでの中央西線系の昼行急行「しなの」は、「あずみ」「つがいけ」「きそこま」とともにすべて「きそ」に吸収され、「きそ」はこれまでの夜行1往復を含め、一躍、下り8本・上り7本の大所帯となった。翌44(1969)年10月改正ではさらに不定期1往復が増発され、昭和45(1970)年夏シーズンは次のラインアップで運転されていた。 ・下り「1号」=811D/多治見5時05分→長野10時00分(塩尻→長野間「天竜1号」を併結) ・「2・4号」=801D/名古屋7時22分→長野11時59分、806D/長野14時15分→名古屋19時05分(名古屋〜松本間季節「つがいけ」を併結) ・「3・3号」=6801D/名古屋9時00分→松本12時26分、6802D/松本14時38分→名古屋18時10分(名古屋〜塩尻間臨時「白樺高原」を併結) ・「4・5号」=803D/名古屋9時42分→長野14時23分、808D/長野16時55分→名古屋21時45分 ・「5・7号」=805D/名古屋14時47分→長野19時30分、810D/長野23時00分→名古屋5時30分 ・「6・1号」=807D/名古屋17時50分→長野22時50分、802D/長野7時10分→名古屋12時03分 ・「7・6号」=6813列車/名古屋22時35分→長野4時40分、6814列車/長野22時35分→名古屋5時15分 ・「8・2号」=809D/名古屋23時27分→長野5時06分、804D/長野8時40分→名古屋13時20分(名古屋〜松本間臨時「上高地」を併結) ・「9・8号」=815列車/名古屋23時55分→長野5時48分、816列車/長野23時20分→名古屋6時00分 このうち、「8・2号」の名古屋〜松本間では松本電気鉄道の新島々まで乗り入れる臨時列車「上高地」を、「3・3号」の名古屋〜塩尻間では中央東線の茅野まで直通する臨時列車「白樺高原」を併結するなど、多彩な運転形態を見せていた。また「2・4号」の名古屋〜松本間で併結されている「つがいけ」は、43.10改正で「きそ」に吸収されていたが、大糸線直通列車であることから、誤乗防止のため、昭和45(1970)年7月1日から再び「つがいけ」に改称されている。 このように絶頂期を迎えた「きそ」に翳りが見え始めたのは、中央西線が全線電化された昭和48(1973)年7月10日のことで、特急「しなの」の381系化による増発の余波で下り6本・上り5本に削減された。このうち上下各3本が165系化されたものの、名古屋〜長野間を通しで運転する定期列車は下り2本・上り3本と大幅な落ち込みを見せた。 昭和50年代に入ると「きそ」の削減はさらに続き、昭和53(1978)年10月2日改正では下り4本・上り3本に、昭和57(1982)11月15日改正では定期夜行1往復と中津川〜長野間の昼行下り1本が残るのみとなった。このうち、「きそこま」の流れを汲む中津川〜長野間の昼行下り1本は昭和58(1983)年7月5日に中津川→松本間が快速に格下げとなり、「きそ」は実質的に登場時の夜行1往復に戻るが、昭和60(1985)年3月14日改正ではこれも廃止され、「きそ」の名は臨時列車で残るのみとなった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/09/01


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