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しなの鉄道 篠ノ井〜上田

【第94回】しなの鉄道 篠ノ井〜上田


北陸新幹線の開業でJRから切り離された信越本線を継承し、北信地区を結ぶ庶民の足として活躍するしなの鉄道。国鉄型の169系、115系が行き交う高速仕様の複線電化路線からは、国鉄鉄道網の動脈として信濃路に君臨した、躍動する幹線鉄道の香りがほとばしる。

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篠ノ井駅では燃料輸送の任に就く黒光りのタンク車が顔を利かせる

篠ノ井側から短いリズムを刻むジョイント音が近づいて来ると、それまで冬枯れの山野を映し出していた川面が揺れた。かつては主要幹線として特急列車が闊歩した千曲川橋梁界隈も、今日ではローカルムードに溢れている。

ゆったりとした動きで入換え作業が行なわれている貨車の波。5両程のタンク車を牽引するDE10のフロントデッキには赤と緑の旗を携えた誘導員の姿があり、遥か東方の側線には、甲冑のようなエアフィルターが並ぶ山岳路線用機関車EF64が組成を終えた列車の先頭に立つべく待機する……。篠ノ井貨物ジャンクション。2面の旅客ホームに対し、構内の一角を占める貨物用として幾重にも敷き通された線路を目の当たりにすると、JR貨物駅がすでに姿を消しているにもかかわらず、そんなイメージが頭に浮かんでくる。 長野市の南方に位置する篠ノ井駅では、JR篠ノ井線と信越本線、そして、しなの鉄道という3つの本線系路線が分岐する。貨物列車の運用範囲はJR線のみならず、今日では第三セクター鉄道となっているしなの鉄道の坂城、西上田にまでおよんでいる。しなの鉄道に乗り入れる貨物列車はいずれも燃料輸送用だ。それらは、冬場の運転頻度が高い臨時便を含むと5往復の設定があり、沿線で牽引機の青い雄姿を見る機会も、ままある。 特徴的な姿が目を惹く貨物列車に対して、篠ノ井駅を行き交う旅客列車の運転本数も、地方駅としては結構な頻度だ。朝夕に運転されるホームライナー系列車の一部を除くと、長野と名古屋を結ぶ特急「しなの」をはじめ、やって来る列車のほとんどが篠ノ井で停車。しなの鉄道の列車は、すべてが信越本線の長野まで乗り入れ、篠ノ井〜小諸間では1時間に2往復程度が設定されている。 普通列車の運転本数こそ現在よりも少なかったものの、JR時代は上野と長野を結ぶ特急「あさま」を筆頭に、金沢まで足を延ばしていた特急「白山」など、常に多くの優等列車で賑わっていた印象が強い。そんな名実ともに信濃路の幹線であった往時からすると、列車待ちのお客で賑わうホームさえものどかに映る。「三セク化」から10年。すっかり地元民の足となった国鉄型車両たちは、元気な走りを堪能させてくれるだろうか。 場内アナウンスが流れ、赤と灰色でコーディネートされた自社色の115系がホームに滑り込んできた。今日はのんびりと千曲川沿いの旅を楽しもう……と思った途端、いきなり背後でけたたましい風切り音が轟く。振り返ってみると、そこには眩いばかりに白い、北陸新幹線の防音壁が輝いていた。

車窓からの眺めに違和感漂う 北陸新幹線の高架が絡みつく

開業以来の主力である115系は国鉄型のベテラン。車内には彼らが生まれた時代を感じさせる意匠が散見される。

篠ノ井駅を発車してしなの鉄道線内に入った列車は、乗車の際にさりげなくその存在をアピールしていた北陸新幹線と並行しながら南へと進路を取る。2kmほど先で左にカーブすると、高架部分の続く新幹線を潜って行く。前方には明るい灰色に塗られたトラス橋が見える。上田までの行程の中で唯一、線路と同じ方角へ流れる大河を跨ぐ千曲川橋梁だ。轟音とともに渡る橋の上からは、規則正しいリズムで視界を横切っていくトラス越しに、右手に新幹線、左手に国道18号線が並行し、橋梁上までも防音壁で囲まれた新幹線越しには、先ほど分かれた篠ノ井線がその懐へと足を進める冠着の山系が望まれる。 千曲川を渡ると間髪入れず、今度は道路ジャンクションの特徴であるコンクリート製のうねりを形成する長野自動車道の更埴インターチェンジが現れる。そんな次々と沿線を埋めていく近代的交通施設に圧倒されながら、列車はしなの鉄道では最も若い駅、平成13(2001)年3月22日に開業した屋代高校前に到着した。 屋代高校前駅の界隈は、古くからの農村部に田畑を造成したらしい新興住宅地が入り組んだ、昭和と平成のモザイク状態である。真新しい家並みの中で、線路近くの一角に畑地が残り、畑を区切る畦の上では、裸木となった栗の木立が季節を奏でている。陽溜まりの、枯れた景色が暖かい。モケット地を張られた座席の下から、暖房の熱気が足下をほんわりと包み込む。その優しい感触が、窓越しに北風を切って突き進む電車の甲高い音が奏でる冷たさを掻き消して、冬の車を温もりで一杯にしてくれるのだ。 小春日和の縁側に佇んでいるかのような穏やかな気分の中、左手に流れる民家の間から、急カーブを描いて単線の線路が姿を現した。長野電鉄屋代線である。長野電鉄の須坂とJR駅のある屋代を結ぶローカル線は、見る間にしなの鉄道へ寄り添ってくる。長野電鉄と同様に千曲川の東岸に沿って設けられた谷街道が踏切を過ぎると、並行した線路は3線区間のような形状となっていく。それでも、薄めの道床に鋼製トラスの架線柱が多く残る屋代線が、旧来の国鉄線とは異なる歴史を持つ路線であることは、容易に想像がつく。一方のしなの鉄道の線路脇には、太いコンクリート製の架線柱が並び、幹線鉄道の迫力をたたえている。 駅が近づくにつれて、束の間の3線区間は山中に2つの神社を持つ一重山の麓を走り行く。その鬱蒼とした沿線風景には、どちらかといえば細身な鉄骨造りの架線柱がお似合いだろう。そんなことを取りとめもなく思っていると、列車はしなの鉄道と長野電鉄のホームが大きく分かれた、屋代駅の構内へ入って行った。

線路と同じ方向へと続く家並みから垣間見えるのは良き時代の農村風景

屋代駅の近くでは長野電鉄の屋代線としばらくの間、並行して走る。踏切の表示類にも2社の名前が仲良く並ぶ。

屋代は、しなの鉄道の北端部を占める千曲市の中でも、行政や医療など、公的機関が集まる市の中心部である。この地域は昭和と平成に断行された、2度にわたる市町村の合併を経験。そのため、合併時期よりも早く設置された駅がほとんどであるしなの鉄道では、市内に屋代、戸倉と旧町名を冠された駅名が並んでいる。やはりこちらの方が地域住民にとってはもちろんのこと、沿線随一の観光地である戸倉上山田温泉を目的に訪れる行楽客にも通りが良いのだ。 もっとも、一重山の裾に位置する屋代駅界隈では、観光地の駅にありがちな、呼込みの大げさな広告看板類などは見受けられず、左手に冬木立の続く山並み、右手には冬眠状態に陥っている田畑が延々と続く。線路沿いにはリンゴなどの果樹園も散見されて、信濃路らしさは盛り上がる。実際には並行する小道の向こう側に、自動車の往来が激しい国道18号線が通っているのだが、電車の車窓からは旧道に沿って身を寄せ合っている昔ながらの民家に阻まれていて、国道沿いの喧騒は推し量るべくもない。 鉄路とともに歩んできた木造瓦葺の屋並みが、しなの鉄道というひらがなの社名に相応しい、くつろぎの電車道をお膳立てしてくれている。そればかりか、遠くに稜線を描く聖高原の山影が、手前を流れる田園と重なり、雲の切れ間から降り注ぐ西陽とともに、山里の午後をゆったりとした表情に見せている。 しなの鉄道を10km近く走って、篠ノ井で分かれた篠ノ井線がその懐を貫く冠着山系が、未だに車窓を飾っている様は少々意外でもある。しかし直線距離で5kmほどの隔たりはあるものの、戸倉までは紛れもなく千曲川を介して篠ノ井線とほぼ並行しているのだ。  平成9(1997)年10月1日に開業した、しなの鉄道は、元をただせば北陸新幹線の長野開業でJR路線から切り離された信越本線篠ノ井〜軽井沢間である。官設鉄道として建設が進められた信越本線の中で、長野〜上田間は明治21(1888)年8月15日に開業。当初の途中駅は篠ノ井、屋代、そして坂城で、当地域の電化は、地方幹線としては比較的早期に実施されている。すでに明治期よりの電化区間であり、また碓氷峠越えの難所である、横川〜軽井沢間(現・廃止)の1500V化と粘着運転化に先駆けて、昭和38(1963)年に長野〜軽井沢間の74.9kmが一気に電化された。 その反面、幹線路線におけるもうひとつの象徴である複線化は、なだらかに進展。電化以降に坂城〜西上田間、西上田〜上田間と小刻みな工事を経て、昭和53(1978)年9月26日に篠ノ井〜屋代間の複線化が達成され、長野県下の信越本線長野以南は、現在のような複線電化の堂々たる鉄路となった。

木々の間から覗いた千曲川の水面が優しい日差しの中で一瞬きらめいた

地域の工業地帯として発展している坂城周辺だが、坂城駅から国道を潜った先のわずかな区間には、線路と千曲川岸の間に広々とした水田地帯が今も健在である。冠雪の端山と石積みの畦道が、静かな冬の山村を演出している。

戸倉は北信地方の名湯として人気の戸倉上山田温泉の最寄り駅である。先ほどの屋代駅とは対照的に、駅前は温泉マーク入りの歓迎アーチで彩られ、客待ちのタクシーがずらりと並んでいる。それでも駅の周辺が観光地ならではの喧騒をほとんど感じさせないのは、当の温泉街が駅から離れた場所にあるからだろうか。駅そのものは車両基地が併設され、しなの鉄道北部の中核となっている。旅客ホームは、2面を備えたJR路線時代からのゆったりとした構内配線だ。 しかし、訪れた時間帯が夕刻のラッシュ時を控えていたためか、ここを寝庫としている電車たちはほとんどが出払っているらしく、車内から見渡した限り、側線に車両の姿は見つけられない。もっとも、営業時間内に車両の多くが本線上に出ているということは、それだけ効率的な運用を図っている企業努力の裏付けといえる。33両の115系と169系12両も、ここで奮闘中だ。 ガランとした車庫はともかく、人気のないホームには、どこか、哀愁が漂っている。特に、かつての特急停車駅であることを誇示するかのような長大ホームと、その大部分を覆っているがっちりと組まれた上屋が織り成すほの暗い空間は、構内を席巻している今の寂しさを強調しているかのようだ。「あと1時間もすれば会社帰りのお父さんたちでこの駅も賑わうに違いない……のかな?」などと希望にも似た思いを頭の中で巡らせているうちに、列車は静寂の駅を離れていった。 右手の車窓に続く戸倉の市街地が途切れると、国道18号線が線路のすぐ下を並走し始める。すると篠ノ井の近くで川を越えて以来、建物などに遮られてその姿を拝む機会がなかった千曲川の水面が、道ひとつ隔てたところに広がっていた。冬木立の間から見えるきらめく流れがなんとも眩い。 しかし、そんな旅情を誘う光景も一瞬にして遠のき、列車は山頂付近に戦国時代の山城跡が残る葛尾トンネルへ入る。「悠々と流れる日本一の大河を堪能できるのは、まだまだ先だよ」と言わんばかりの暗闇が、窓ガラスを鏡に変え、拍子抜けした間抜け面を映し出す。 そして、そのトンネルも数秒で潜り抜けると、列車は高い築堤の上に飛び出した。眼下には葛尾山の麓に栄えた坂城の街並みが一望だ。民家が密集している車窓左手に対して、右手には石油の貯蔵施設が見える。どっしりと腰を据えている宇宙船のような油槽が、周囲の山間風景とは裏腹に、坂城が工業の町であることをうかがわせる。

交互に現れる工場と田園の融合 そして再び新幹線とともに上田へ

上田駅が近づくと、北側に長野新幹線の高架橋が迫ってくる。南側の線路際に広がる田園とは対照的な眺めだ。

駅舎と少し離れた位置に設けられた島式ホームからは、油槽所へ続く専用線がよく見える。輸送形態の見直しなどで衰退著しい近年の鉄道貨物輸送だが、近隣に工業団地を有する、ここ坂城では、隣接した新日本石油北信油槽所への石油輸送はタンク車を用いた貨物列車によって行なわれている。1日2往復が設定されている列車は、いずれも根岸線根岸駅との間で運転されているのだ。 また坂城駅では、貨車を油槽所へ続く専用線へ搬入出する際に、石油会社所有のスイッチャーが活躍。線路の側に設置された油槽施設は十数階建てのビルにも匹敵するような大きさで、その周辺を往来するトラックなどはあまりに小さく映る。それは貨物の大量輸送について、鉄道が効率的で有利という原則を表しているかのような眺めである。 坂城駅を出て町内と国道を結ぶ道路を潜った先には、見上げんばかりの油槽が建ち並んでいる。視界に立ちはだかる巨大施設の登場で、車窓はいよいよ工業地帯然としてくる。それでも油槽所の傍らをすり抜け、国道18号線が頭上を越えると、駅を出た直後とは打って変わり、千曲川の河川敷につくられた水田が広がる。 しかし、そんなのどかな情景も数kmと続かない。すぐ前方ではふんだんに用意された敷地を目一杯に使った、大きな平屋の建物をいくつも持つ工場群が連なり、坂城町から上田市に至る鉄道と千曲川が縁取る長細い空間には、大小の工場がひしめいている。そうした鉄道沿線の工場に勤める人たちの利便性を図って、平成11(1999)年に設けられた駅がテクノさかきだ。この駅はしなの鉄道が開業後、最初に設置した新駅でもある。 日精樹脂の工場を抜けると、列車は左手には大きくカーブを切る。前方には虚空蔵山の切り立った斜面が、手に取れるような近さで聳えている。その反対側のわずかな平地部分には、西上田駅の先まで薄灰色の工場群が立ち並ぶ。鉄道情景を通して日本の風景を楽しもうとする視点からは、無粋に見えがちな工業地帯。しかし、鉄路の沿線にあってこそ貨車へ積み込む荷が生まれ、それが鉄道を活性化させる源の1つとなる。そう考えると、貨物のスジを持つ路線の脇に並ぶ工場の存在がありがたい。 西上田から山裾を回り込むように進んで行くと突然、山腹から高い柱を連ねた北陸新幹線が出現した。見る間にしなの鉄道に寄り添って来た高架橋は、市街地の町並みとの間に覆い被さる。それでも上田駅に向かって列車が速度を落とす頃には、左手に上田城の黒い城郭が高架のごくわずかな隙間からチラッチラッと流れ、真田家で名を馳せた城下町へやって来たことを実感させてくれる。旅程の最初と最後を新幹線と並行して、列車は上田駅に到着した。 長野から新幹線に乗ると、わずか13分の移動時間でこと足りてしまう上田までの道のり。それに対して約3倍の時間を要するしなの鉄道のダイヤは、沿線に佇む今昔の生活感溢れる光景を、旅人に意識させる余裕を与えてくれる。新幹線は移動で在来線は旅行……。そんな感覚の棲み分けを再認識させてくれる、信濃路の「旅」である。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/10/15


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