模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

「彗星」

【第95回】「彗星」


昭和20年代後半から昭和30年代にかけて東海道の夜を華々しく飾った東京~大阪間の夜行急行は、いずれも天体にちなんだ愛称名が付けられていたが、いち早く寝台列車となり、食堂車も連結された列車は「彗星」と名付けられていた。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


31.11改正で不定期となる32.10改正ではいち早く寝台列車に

急行時代の「彗星」は、東京~大阪間の夜行急行列車の中ではいち早く寝台列車となり、東海道新幹線開業前までは東海道の夜を謳歌した。

東京~大阪間に戦後初の特急「へいわ」がデビューした昭和24(1949)年9月15日改正では、同区間の夜行急行列車も門司、姫路直通列車を含めて5本と充実化が図られた。中でも、急行15・16列車は「銀河」と命名され、改正当初は1・2等車だけで編成を固める、戦前の「名士列車」を彷彿させる列車だった(9月24日からは3等車も連結)。一方、東京~大阪間では急行17・18列車も登場しており、こちらは当初から3等車を連結していたものの、1等寝台車を連結している面では「銀河」と引けを取らず、非公式ながら「流星」という愛称名が付けられていた。 この「流星」は、昭和25(1950)年10月1日改正で列車番号を15・16列車に変更、15列車/東京22時30分→大阪9時24分、16列車/大阪22時00分→東京9時08分のダイヤで運転され、下り東京発では東京~大阪間夜行急行のしんがりを務めた。同年11月2日には僚友の急行11・12列車とともに正式に愛称名が付けられ「彗星」と命名された(急行11・12列車は「明星」と命名)。 昭和20年代後半の「彗星」は、1・2等寝台車、特別2等車、2等座席車、3等座席車の各等編成で「銀河」「明星」「月光」とともに夜の東海道を飾っていたが、東海道本線の全線電化開業に伴い実施された昭和31(1956)年11月19日改正では、急行「出雲」(改正前は「いずも」)の東海道本線内が単独運転になり、そちらに筋を譲ったため、自らは3等座席車主体の不定期列車に転身した。これにより、東京~大阪間の定期夜行急行は「銀河」「明星」「月光」「出雲」のラインアップとなり、「彗星」は日陰の身となってしまった。 しかし、この境遇は昭和32(1957)年10月1日改正で一変する。31.11改正で登場した特急「あさかぜ」の好評により、東京~大阪間夜行急行にも寝台志向が高まったことから、弾力性のある不定期「彗星」に白羽の矢が立ち、寝台列車に仕立てられることになったのだ。編成は当時、寝台緩急車がなかったことからやむなくスハフ42が1両連結された以外は旅客車はオール寝台車となり、「彗星」は一躍、東京~大阪間の夜行急行でもっとも豪華な列車に変貌した。 昭和36(1961)年10月1日改正では、昼夜ともに東京~大阪間の優等列車が一層充実し、「銀河」「月光」も寝台車主体の編成に変貌、上りは「出雲」と併結ながら「金星」という新顔も登場した。「彗星」の方は寝台列車の状態に変わりはなかったが、翌年の5月1日大阪発から食堂車オシ16の連結を開始し、他の夜行急行とはまたひと味違う雰囲気を醸し出していた。 そんな東京~大阪間の夜行急行が絶頂期に達したのは昭和38(1963)年10月1日改正でのことで、電車急行「第2なにわ」を寝台列車化した「すばる」が登場するとともに、緩急車に使われていたスハフ42のナハネフ10への置換えが開始され、翌年3月末までに、東京~大阪間の夜行急行全列車の全車寝台化が達成された。しかし、昭和39(1964)年10月1日に東海道新幹線が開業すると東京~大阪間の夜行急行は大幅に整理され、「銀河」「明星」「金星」「月光」のみが存続、「彗星」は「金星」「すばる」「あかつき」(37.6改正で復活)とともに姿を消した。

43.10で関西発着の寝台特急へ転身48.10以後は14系と24系が進出

43.10以後に特急として山陽・日豊路へ転じた「彗星」は、新系列客車が積極的に投入されたが、編成は無味乾燥なものに終始した。

昭和40(1965)年10月1日改正で関西発着としては初の寝台特急「あかつき」が新大阪~長崎、西鹿児島(現・鹿児島中央)間で運転を開始したが、日豊本線系統の寝台特急は、39.10改正で「みずほ」の大分編成を分離して誕生した「富士」のみだったため、輸送力の増強が望まれていた。そこで、昭和43(1968)年10月1日改正では、新大阪~宮崎間に20系による寝台特急が新設されることになり、東海道本線の夜行急行に命名されていた「彗星」の名が与えられることになった。 寝台特急として新たなスタートを切った当初の「彗星」のダイヤは、23列車/新大阪19時28分→宮崎10時31分、24列車/宮崎16時45分→新大阪7時42分で、東京を「富士」より2時間30分早く発車する新幹線に乗れば、大分には「富士」よりも約6時間も早い朝6時台に到着することができた。その後「彗星」は、昭和45(1970)年10月1日改正で運転区間を都城まで延長、昭和47(1972)年3月15日改正では新大阪~大分間に1往復増発され2往復となり、勢力拡大が図られた。 昭和48(1973)年に入ると、集中電源方式の特急型寝台客車としては15年ぶりのモデルチェンジ車となる24系が登場し、同年10月1日改正から「彗星」に投入された。また、この改正では14系寝台車も投入されており、急行「べっぷ」を格上げした2往復が加わり4往復となった「彗星」は20系による運転が1往復のみとなった。なお、14系寝台車による「彗星2・2号」は新大阪~門司間で「あかつき5・2号」と併結となった。 昭和49(1974)年4月25日改正ではさらに1往復が加わり5往復となり、新大阪~大分間の1往復は2段式B寝台車の24系25型が投入されるようになった。その一方で20系が「彗星」から撤退している。 山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、並行在来線である山陽本線の昼行優等列車が全廃されるといった大きな動きがあり、夜行列車も大幅に整理された。その結果、「彗星」は2往復減の3往復に後退し、このうち2往復は583系に置き換えられ「あかつき」との併結も解消された。「彗星」の凋落が始まったのはこの改正からで、昭和55(1980)年10月1日改正では2往復に、昭和59(1984)年2月1日改正では24系25型による1往復のみに落ち込んだ。昭和61(1986)年11月1日改正では14系15型に置き換えられたが、オール開放B寝台車のみのモノクラス編成に変わりはなかった。 JR移行後も長距離旅客の航空機への移転などにより、「彗星」はパッとしない境遇に置かれ続ける。「あかつき」や「なは」をよそに個室寝台車は連結されず、所要時間が長いだけの魅力に乏しい列車になり下がっていた。 平成6(1994)年12月3日改正では24系25型に戻り、翌年4月20日改正では下り方が南宮崎発着に改められた。そして、平成12(2000)年3月11日改正ではついに単独運転が打ち切られ、50.3改正以来の「あかつき」との併結が復活、上り方の始発駅は永年の新大阪から京都に変更された。「あかつき」の方はこの改正で佐世保編成が廃止になったため、その編成が併結の「彗星」に回り、「彗星」にもようやく1人用B個室寝台車が登場したが、平成17(2005)年10月1日改正をもって廃止となってしまった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/12/01


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。