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「あさしお」

【第96回】「あさしお」


京都口の山陰特急は、京都〜城崎温泉間の「きのさき」、京都〜福知山間の「たんば」、京都〜天橋立間の「はしだて」、京都〜東舞鶴間の「まいづる」といった電車特急が運転されてきたが、それらの前身は96.3改正まで運転されていた気動車特急「あさしお」だった。

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39.10改正で北陸と山陰を結ぶ気動車急行として登場

「あさしお」の名は39.12に運転を開始した金沢〜出雲市、大社間の気動車急行に初めて登場し、47.10改正で京都発着の山陰特急に命名されるようになった。当初は80系気動車で運転されていたが、57.7から181系気動車にバトンタッチし、96.3改正まで活躍した。

国鉄がまだ陸上交通のメインであった昭和30年代後半は、観光地と観光地を結びつける優等列車が各地で数多く運転されていた。豊富な景勝地を控える日本海側でも、能登半島や東尋坊などで名高い北陸本線沿線と、天橋立などで名高い宮津線(現・北近畿タンゴ鉄道宮津線)や鳥取砂丘や出雲大社などが控える山陰本線沿線を小浜線経由で結ぶ列車が企図され、昭和39(1964)年10月1日改正では金沢〜出雲市、大社間に気動車急行「あさしお」が設定された。その当時のダイヤは、401D〜905D/金沢8時40分→敦賀11時10分・11時14分→西舞鶴12時51分・12時55分→豊岡14時42分・14時46分→米子18時08分・18時24分→出雲市19時31分、216D〜402D/大社8時26分→出雲市8時39分・8時50分→豊岡13時03分・13時07分→西舞鶴14時45分・14時50分→敦賀16時30分・16時34分→金沢19時05分で、下りは米子→出雲市間において伯備線経由で三原からやってきた準急「皆生」に併結、この区間は「あさしお」も準急として運転された。また、上りの大社→出雲市間は普通列車として運転された。なお、急行「あさしお」は設定当初は運休扱いで、実際の運転はキハ58型気動車グループの増備を待って12月1日から開始された。
昭和41(1966)年10月1日改正を迎えると、名古屋発着の急行「大社」を敦賀以西で併結するようになったが、「大社」が大社直通となっていたため、「あさしお」自体は運転区間が米子までに短縮され、昭和43(1968)年10月1日改正では、「あさしお」も「大社」に抱合され、急行としての列車名に終わりを告げている。なお、「大社」は昭和57(1982)年11月15日改正まで運転されたが、旧「あさしお」の編成は昭和53(1978)年10月2日改正で福井〜天橋立間に短縮、「大社」廃止後は「はしだて」に改称され、平成4(1992)年3月14日改正まで運転された。

後発の「2号」より城崎着が遅かった宮津線経由の下り「1号」

80系気動車時代の「あさしお」は7、9、10両のパターンで運転され、50.3改正までは食堂車も連結されていた。舞鶴、宮津線経由の列車と山陰本線経由の列車では、京都発時点で編成の向きが異なっていたのも大きな特徴だった。

そんな「あさしお」の名が復活したのは昭和47(1972)年10月2日改正でのことだった。この改正では、日本海縦貫線が全線電化されたのを機に大阪〜青森間の特急「白鳥」が485系電車に置き換えられたため、捻出された向日町運転所の80系気動車29両を利用した京都発着の山陰特急が新設された。それが特急「あさしお」で、当時は次の4往復が設定された。
・ 「1・4号」=2003D/京都8時52分→西舞鶴10時32分・10時35分→豊岡12時12分・12時15分→城崎12時25分、2004D/城崎16時27分→豊岡16時36分・16時39分→西舞鶴18時12分・18時15分→京都19時59分
・ 「2・3号」=2005D/京都9時20分→倉吉13時52分、2006D/倉吉14時15分→京都18時51分
・ 「3・2号」=2007D/京都13時09分→城崎15時57分、2008D/城崎12時55分→京都15時45分
・ 「4・1号」=2009D/京都16時35分→米子21時55分、2010D/米子7時00分→京都12時21分
このうち、最も運転経路が複雑なのが「1・4号」で、ほかの列車は山陰本線をスルー運転するのに対して、この列車は綾部〜豊岡間を舞鶴、宮津の各線を経由して、途中、綾部、西舞鶴、豊岡で方向が変わるという変幻自在ぶりを見せていた。その分、ほかの「あさしお」より所要時間もかかり、下りの場合、「1号」の城崎(現・城崎温泉)到着は、28分遅く京都を発車する「2号」より28分遅かった。当然、京都〜城崎間の直通客は皆無に等しく、観光資源が豊富な宮津線沿線を目当てにした列車設定だったといえる。
この「あさしお」は、運転開始から昭和57(1982)年まで目立った変化はなかったが、当初は全列車に連結されていた食堂車が昭和50(1975)年3月10日改正で外され、早くもサービスダウンを余儀なくされた。

京都口の山陰特急再編により96.3改正でその名が途絶える

JR宮津線が転換された平成2(1990)年には「さよなら宮津線」のヘッドマークを掲出した「あさしお」が運転された。

昭和57(1982)年7月1日、山陰本線伯耆大山〜知井宮(現・西出雲)間が伯備線とともに電化開業し、気動車特急「やくも」が381系電車に置き換えられた。これにより、これまで「やくも」に使用されていた米子機関区と小郡機関区の181系気動車48両が向日町運転所(現・京都総合運転所)に転属となり、「あさしお」全列車が「はまかぜ」とともに181系気動車に置き換えられた。しかし、「あさしお」が走る山陰本線東部や宮津線は非近代的な非電化単線であり、181系気動車のハイパワーを持ってしても劇的なスピードアップは望めなかった。それでも、昭和60(1985)年3月14日改正では急行「丹後」1往復を吸収して5往復に、昭和61(1986)年11月1日改正では急行「白兎」を吸収して6往復となり、ローカル気動車特急としてはなかなかの充実ぶりを見せていた。しかし、平成2(1990)年4月1日にJR宮津線が第三セクター「北近畿タンゴ鉄道宮津線」に転換され、ハイデッカータイプのKTR001〜003型気動車を使用した特急「タンゴエクスプローラー」が京都〜久美浜、網野、西舞鶴間で運転を開始すると、さすがの「あさしお」も見劣りするようになった。また、これに先立つ3月10日改正では山陰本線京都〜園部間が電化開業しており、ようやく山陰本線京都口も近代化の兆しが見えてきた。そして、山陰本線園部〜綾部間と北近畿タンゴ鉄道宮福線と宮津線宮津〜天橋立間が電化された平成8(1996)年3月16日改正では京都口の山陰特急のうち、京都〜城崎間は「きのさき」に、京都〜福知山間は「たんば」に、京都〜天橋立間は「はしだて」に再編され、それぞれが183系電車で運転されることになった。これにより特急「あさしお」と急行「丹後」はすべて姿を消すことになり、京都口の優等列車は北近畿タンゴ鉄道の「タンゴエクスプローラー」を除いて、全面的に電車時代に突入。綾部〜東舞鶴間が電化された平成11(1999)年10月2日改正では京都〜東舞鶴間に特急「まいづる」3往復や「タンゴディスカバリー」2往復も新設(「タンゴエスクプローラー」と運転系統を振替え)された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2021/01/01


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