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「あしずり」

【第96回】「あしずり」


高知県の南西部に位置する足摺岬は、海岸段丘が発達した名所として知られているが、この岬の名を愛称名にしたのが「あしずり」だ。昭和36(1961)年春に高松を起点に高知以西へ直通する気動車準急として「足摺」の名でスタートしたこの列車は、43.10改正で土讃線系急行の代表列車に昇格し「あしずり」と改称された。

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準急「土佐」からの暖簾分けで登場43.10からは土讃線系の代表列車に

43.10改正から高松と土讃線高知以西を結ぶ代表列車となった「あしずり」。国鉄色の急行型時代は約25年と一番長かった。手前のキハ65は昭和44(1969)年頃に登場しているが、四国では平成20(2008)年10月に引退した。

土讃線を走る優等列車は、昭和25(1950)年10月1日改正で設定された高松桟橋(現・高松)〜須崎間の準急が最初で、四国内では「南風」の愛称が付けられた。これに続いて、昭和34(1959)年9月22日改正では姉妹列車として高松〜窪川間に「土佐」も登場したが、いずれも客車列車で、急速に気動車化が進みつつあった予讃線の優等列車と比べると格落ち感は否めなかった。
「土佐」の登場当時、四国に配置されていた優等用気動車は1エンジン車ばかりで、急峻な山岳地帯を越える土讃線の優等列車に使用するにはいかにも非力だった。
このため、土讃線の「南風」や「土佐」は客車列車にならざる得なかったが、昭和35(1960)年10月には、四国内の優等気動車列車を一手に担っていた当時の高松機関区にもようやく2エンジンのキハ55型が配置されるようになり、翌年4月15日改正では、高松〜須崎間の「土佐」1往復を窪川まで延長のうえ、キハ55型気動車グループに置き換えた準急「足摺」が誕生した。
その当時のダイヤは、103D/高松6時10分→窪川10時27分、118D/窪川19時25分→高松23時53分で、103Dの高松→多度津間は準急「いよ1号」に併結されていた。
次の昭和36(1961)年10月1日改正では、宇高航路を介した本州側の接続列車に特急「富士」が登場したため、これに対応した気動車急行が土讃線に初めて設定され、同線の優等列車はさらに充実度を増していったが、「足摺」の方は昭和38(1963)年2月1日改正で1往復を増発。同年12月18日には中村線(現・土佐くろしお鉄道中村線)が開業したため、下り方面の運転区間が土佐佐賀まで延長されている。
昭和40年代に入ると、昭和40(1965)年3月に3往復に増強され、さらに昭和41(1966)年3月5日には、運転距離100km以上の準急が急行に格上げされたため、自動的に急行となった。そして迎えた昭和43(1968)年10月1日改正では、高知以西へ直通する気動車急行が同一愛称に統一されることになり、「足摺」の名が採用された。ただし漢字名では難読であるため、名前自体は「あしずり」に改称された。
これにより、土讃線の老舗だった「南風」の名が消え、「あしずり」は高松〜窪川、土佐佐賀間で7往復態勢となった。このうち、2往復は、昭和45(1970)年10月1日改正で全通した中村線に合わせて、中村まで延長されている。

90.11で特急化されたものの本数が下り1本のみという時期も

特急化以後の「あしずり」は、四国における181系気動車の最後の舞台となり、「あしずり」全列車が2000系気動車に置き換えられた93.3改正で有終の美を飾った。

山陽新幹線が岡山まで開業した昭和47(1972)年3月15日改正では、これに呼応して四国にも初めて特急が設定されることになり、土讃線系統には高松〜中村間に「南風」が登場した。43.10改正で消滅した急行の愛称名が復活したわけだが、「あしずり」の方は7往復態勢に揺るぎはなく、特急をはるかに凌ぐ一大勢力を誇っていた。
しかし、昭和50年代後半に入ると、四国内で気動車急行の削減が進み、「あしずり」も影響を受け始める。昭和57(1982)年11月15日改正では下り4本・上り5本に、昭和59(1984)年2月1日改正では上り1本が普通列車に格下げとなり上下各4本となった。そして、国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61(1986)年11月1日改正では3往復となり、この改正で4往復となった特急「南風」と勢力が逆転してしまった。この改正では、181系気動車に加えて新鋭の185系気動車も登場するようになり、急行はますます肩身の狭い思いをするようになる。
昭和63(1988)年4月1日には、「あしずり」が乗り入れていた中村線が第三セクターの土佐くろしお鉄道に転換されたが、「あしずり」はそのまま同鉄道への乗入れを続けた。その9日後の4月10日には本四備讃線が全通し、本州と四国がレールで結ばれたが、「あしずり」は高知以西への足として、急行のまま国鉄末期とほぼ変わらない姿で運転されていた。しかし、平成2(1990)年3月10日改正では、ついに高松に顔を見せなくなり、高知以西のみを走る純粋なローカル急行に転落した。
平成2(1990)年11月21日改正では、振り子式の新鋭2000系気動車が特急「南風」に本格的に投入されるようになり、余剰となった185系気動車を使用して急行の特急格上げが進められ、「あしずり」は高知〜中村間の特急に昇格した。この時は下り2本・上り1本の小勢力で、派手に増発された「南風」の陰に隠れるように細々と運転されており、下り1本は181系気動車が使用されていた。
平成3(1991)年11月21日改正では3往復となったが、車両は全列車が181系気動車に統一。平成4(1992)年3月14日改正では再び181系気動車と185系気動車の二元運用に戻り、次の平成5(1993)年3月18日改正では、全列車が2000系気動車に統一された関係で、再び下り2本・上り1本態勢に戻った。
平成6(1994)12月3日改正からしばらくの間は下り3本・上り2本態勢が続いたが、平成10(1998)年3月14日改正では下りが4本に、平成11(1999)年3月13日改正では下りが5本となり、逆に上りは1本のみという状態となった。この間の平成9(1997)年10月1日には土佐くろしお鉄道宿毛線が開業し、「あしずり」全列車が宿毛まで乗り入れている。
2000年代に入ると、岡山、高松発着の特急が高知以西へも増発されるようになり、平成13(2001)年3月3日改正では、上りが「南風」に吸収されたため、1本もなくなってしまった。そして、平成15(2003)年10月1日改正では、ついに下り1本のみに追い込まれしまい、宿毛への乗入れも中止された。
それでも、この下り1本はしぶとく生き続け、平成21(2009)年3月14日改正では、高知→須崎間に毎日運転の「あしずり51号」が新設されるようになり、「あしずり」は実質下り2本態勢となった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2021/02/01


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