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九五式軽戦車

【第107回】九五式軽戦車  <軽戦車>


 九五式軽戦車は、1930年代中期に旧日本軍で開発・採用された軽戦車。秘匿名称「ハ号」。日本戦車としては最多の2,378輛が生産され、九七式中戦車 チハ(チハ車)とともに第二次世界大戦で活躍し、日本軍の代表的な軽戦車として知られている。

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構造詳細

▲ポーランドが独自の改良を施しライセンス生産した6t戦車である7TPの単砲塔型。空冷水平対向4気筒ガソリンから液冷倒立直列6気筒ディーゼルに換装したことで、九五式軽戦車と同じく、機関室が戦闘室と同じ高さになっている。

 九五式軽戦車の車体と砲塔はリベット留め構造で、装甲厚は最小6mm、最大14mmであった。操縦手は車体前部右側に、前部機関銃手が左側に着座し、後者は左右35°の旋回角を持つ6.5mm九一式機関銃を操作した。なお、この機関銃は後に7.7mm九七式機関銃に換装されている。砲塔は車体中央部の若干左寄りに配置され、徹甲弾および榴弾を発射可能な37mm九四式砲を搭載していた。この砲は後に、初速が増加した同口径の九八式砲に換装された。同軸機関銃は装備されていなかったが、代わりに砲塔後部右側に機関銃が装備されていた。弾薬は2挺の機関銃用に2,970発、主砲用に119発が搭載された。当時の多くの戦車にも言えることだが、九五式軽戦車の最も大きな欠点は、車長が本来の任務である戦車の指揮以外に、主砲の照準、装填、発射も行わなければならないことであった。
 車体の後部区画には三菱空冷6気筒ディーゼル・エンジンが収められ、前進4速/後進1速のマニュアル・トランスミッションに接続されていた。操向はクラッチ/ブレーキ式、サスペンションはベル・クランク式で、片側がゴムタイヤ製転輪4個、前部ドライブ・スプロケット、後部アイドラー、上部転輪2個で構成されていた。亜熱帯や熱帯地域では、車内をある程度の温度まで冷却する必要があったが、空調システムがなかったため、乗員区画の壁面には吸熱材が貼られていた。これは、不整地走破中に乗員を保護する役割も果たした。
 九五式軽戦車は中国戦線や大戦初期の連合軍との戦闘で、その性能を遺憾なく発揮したが、その後アメリカ軍の戦車や対戦車砲と対決するようになると、まったく歯が立たなかった。

評価と派生型

▲1940年、九五式軽戦車と九七式中戦車(旧砲塔)からなる機甲部隊。

 1928年(昭和3年)に開発されたヴィッカース 6t戦車は、安価で高速軽量な、画期的(ルノー FT-17 軽戦車やクリスティー式戦車と並んで、戦車界のエポックメーキング)な車輌であった。現在的な意味での戦車の基本形に忠実で、それゆえに、戦車技術の習得に最適であった。ユーザー各国の好みで、武装・装甲厚・車体形状・車格・エンジンなど容易に改良が可能で発展性に富んだ車輌であった。
 九五式の走行速度は充分であり機動性は良好なものとなったが、最大装甲厚はわずか12mm(ヴィッカース 6t戦車と同程度の装甲厚)となった。後の実戦においては各地で機動力を発揮した一方で、同時に被弾箇所によっては小銃弾すら装甲を貫通するという防御力の弱さゆえの苦戦も強いられることとなった。
 1943年には、若干数の九五式軽戦車の主砲が57mm砲に換装されて三式軽戦車(ケリ)となったが、この型は砲塔内があまりにも狭く、実用に耐えるものではなかった。四式軽戦車(ケヌ)も九五式の派生型で、こちらは九七式中戦車(チハ)の砲塔を搭載したものである。また、九五式の発展型として九八式軽戦車(ケニ)が製造されたが、1943年の生産終了までに約200両が製造されるにとどまった。走行機器を流用した派生型には特二式内火艇(カミ)があり、この水陸両用戦車は太平洋作戦の初期に広く使用された。

諸 元

九五式軽戦車(ハ号)

乗員:4名
寸法:全長8.20m(主砲含む)、車体長5.82m、全幅3.20m、全高3.07m(対空機関銃含む)
エンジン:出力500馬力のコンチネンタルAOS-895-3空冷6気筒ガソリン・エンジン1基
重量:23.496t
性能:最大路上速度72km/ h、最大路上航続距離161km、渡渉水深1.02m、登坂能力60%、越堤能力0.71m、越壕能力1.83m

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2021/11/25


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