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四式自走砲(ホロ)

【第34回】四式自走砲(ホロ) <自走榴弾砲>


四式自走砲は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の自走砲。三八年式15cm榴弾砲と九七式中戦車チハの車体を組み合わせたもので、旧式となった15cm級重榴弾砲に機動性を持たせ主砲である三八式十五糎榴弾砲を砲架ごと九七式中戦車 チハの車体に搭載した。

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榴弾砲の自走化

デアゴスティーニ編集部

▲四式自走砲は生産数が少なく、日本軍の運用も1〜2両を局地的な火力支援に用いる程度だった。

数少ない日本軍自走砲の一つである四式自走砲ホロ(「ホ」は砲の意味)は、1944年(昭和19年)7月に陸軍技術本部にて開発が始まった。旧式となった15cm級重榴弾砲に機動性を持たせ、有効活用しようという経緯があり、 同年8月には早くも試作車が完成した。自走砲への改造方法はごく単純で、車体に砲を搭載し、前面と側面に装甲を施すだけのことだった。上面と後方は開放のままで、側面装甲も戦闘区画の前半分にしかなかった。
搭載砲はクルップ設計をベースにした1905年(明治38年)の製品で、砲弾重量は35.9kg、最大射程は5,900mである。しかしこの砲は、老朽摩滅のために1942年頃から第一線を退きつつあるものだった。鎖栓の構造が原因で発射速度も遅かったが、自走砲にはこれで十分と考えられたようだ。搭載された照準器は直接照準射撃が可能なものであり、ベースには九七式五糎七戦車砲用の照準眼鏡を用い、焦点鏡目盛を交換した。
シャシーに使用された九七式チハは、日本の基準では中戦車に属する1937年の制式兵器である。この戦車は機動力には問題がなかったが、装甲については砲盾前面でも厚さわずか25mmという薄さで、全体構造もリベット留めであった。戦車製作にリベットを使う国は、もはやほとんどなかったが、他の製造手段を持たない日本としては、あるもので我慢するほかなかったのだ。

限られた生産数

デアゴスティーニ編集部

▲四式自走砲は九七式中戦車の砲塔を撤去して、短砲身で射程の短い三八年式15cm榴弾砲を搭載したものだ。本来は自走野戦砲を意図した兵器だが、実際には近接支援砲として使われることが多かった。

開発当時、フィリピンをアメリカ軍との一大決戦場とするフィリピン防衛戦を唱えていた日本軍は、早急に戦力としてフィリピンに送ることを決定した。三菱重工業で生産が行われ、終戦までに12-25輌が生産されている。
当時の日本の生産能力では、この四式自走砲ですら、ごく少数を生産するのが精一杯だった。その実態は手作りに近く、大量生産もほとんど要求されなかった。このほか日本が保有した自走砲には、75mm砲搭載の二式砲戦車があったが、自走砲と近接支援砲を兼ねたこの車両も生産数はごくわずかだった。
四式自走砲の編成は最大でも4両だったようで、大規模編成が行われた記録は現存せず、連合軍による目撃例も、1〜2両が捕獲もしくは破壊されたというものばかりである。
終戦直前に陸軍は来るべき本土決戦に向けて三式砲戦車 ホニIII(ホニIII車)とホロを基幹とする10個独立自走砲大隊の整備を構想した。実際に野戦砲兵学校での要員教育と自走砲の配備が開始されたが、整備が完了しないうちに敗戦となった。ホロは各部隊合計で10輌程度が配備された。アメリカ軍が飛び石作戦を展開するさなか、日本軍はこの自走砲を島嶼防衛に配置し、少数が完全な状態で捕獲されている。

諸 元

四式自走砲(ホロ)
乗員:4〜5名
寸法:全長5.52m、全幅2.33 m、全高2.36m
エンジン:出力170馬力のV型12気筒ディーゼル・エンジン1基
重量:16,300kg
性能:最大路上速度38km/h
兵装:15cm榴弾砲1門

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2015/10/23


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