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MkVII軽戦車テトラーク

【第68回】MkVII軽戦車テトラーク  <戦車>


 MkVII 軽戦車 テトラークは、第二次世界大戦時にイギリスのヴィッカース社が自主開発した軽戦車。空挺戦車としても使用された。「テトラーク」とは、古代ローマにおける四帝分割(テトラルキア)時代の分割統治者の意味。 1940年より生産開始された。

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テトラークの誕生

▲MkVII テトラーク。テトラークはイギリス軍のノルマンディ上陸作戦で、ハミルカー・グライダーに搭載されて空挺作戦に参加した。

 ビッカース社はそれまでのMkVI軽戦車の後継車両を独自に開発することを決定。1937年12月に試作車が完成、1938年に軍の試験を受けた結果、A17軽戦車として制式採用された。
 後にテトラークと名づけられたイギリスのMkVII軽戦車の試作1号車の評価試験は1938年に開始された(当時はパーダと呼ばれた)。試験の結果は、優秀な兵器とは言い難いものであったが、その後も開発は継続された。
MkVIIは従来の軽戦車とは異なり、車体の両側に大型の転輪4個を装備していた。車体中央部に配置された定員2名の砲塔は、2lb(40mm)砲および同軸の7.92mm機関銃を装備するのに十分な広さを持っていた。
結局、MkVIIは強い要望もないまま生産に入ることになったが、1941年頃には「軽戦車は作戦上不利である」と見なされるようになり、生産済みの車両はすべて余剰となった。
 しかし、空挺部隊の設立とともにMkVIIの命運は一変した。MkVIIはイギリス陸軍における初の空挺戦車として採用されたのである。空挺部隊におけるテトラークの輸送用として、新型グライダーのゼネラル・エアクラフト・ハミルカーが作られたが、最初の降下試験が行われたのは1944年4月のことであった。新しい任務を反映して砲塔に76.2mm歩兵支援用榴弾砲を搭載したタイプはテトラークICSと呼ばれた。

空挺作戦

▲1941年、イギリス軍のスタッフ・カレッジのMkVIIテトラーク。

 テトラークは、1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦において、空挺作戦の第2波に投入された。車両の大半はオルヌ川付近に降下したが、これらが戦闘に参加した期間は短かった。また、1945年3月24日のライン川渡河作戦にも投入されたが、このときにはアメリカ製のM22ローカストも使用されたため、投入数はわずかだった。結局MkVIIは、空挺部隊でたいした実績を残せずに終わったが、数両は戦後も就役を続け、ハミルカー・グライダーが退役するまで配備されていた。
 大戦中には、テトラークの派生型が数種類作られている。その一つがMkVIII軽戦車ハリー・ホプキンスで、この車両はMkVIIの4〜15mmよりも厚い6〜38mmの装甲を有していた。そのほかには、アレクトー94mm自走榴弾砲があった。
第二次世界大戦後も空挺部隊に配備されていたテトラークだが、イギリス空挺部隊がグライダーを廃止したこともあり、1949年に退役した。
 派生型として、水陸両用戦車に改良されたテトラークDDやテトラークの後継車輌でビッカース社によって生産されたMkVIII ハリー・ホプキンス軽戦車がある。ハリー・ホプキンスは砲塔や車体の形状が変更されており、装甲も強化されている。1944年までに計100輌が生産されたが、実戦には用いられなかった。

諸 元

テトラーク
乗員:3名
寸法:全長4.31m、車体長4.12m、全幅2.31m、全高2.12m
エンジン:出力165馬力のメドウス12気筒ガソリン・エンジン1基
重量:7,620kg
性能:最大路上速度64km/ h、最大航続距離224km、渡渉水深0.91m、登坂能力60%、越堤能力0.51m、越壕能力1.53m
兵装:2lb(40mm)主砲1門(ICSでは76.2mm榴弾砲1門)、7.92mm機関銃1挺

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/08/28


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