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シュナイダー突撃戦車

【第75回】シュナイダー突撃戦車 <戦車>


 シュナイダーCA1(Char Schneider CA1)はフランス最初の戦車で、第一次世界大戦で使用された。フランスで主要な兵器製造企業であったシュナイダー社により生産されたもの。現在はフランスのソミュール戦車博物館に一輛が実働状態で展示されている。

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遅れた開発

▲2000年撮影のソミュール戦車博物館に現存するシュナイダーCA1。

 1915年、フランスのJ・E・エティエンヌ大佐(後に将軍)は、装甲トラクターで装甲兵員輸送ソリを牽引させて、西部戦線のドイツ軍塹壕線に対し奇襲攻撃を行うことを立案した。大佐は、当時砲兵科トラクターとして広く使われていた、アメリカ・ホルト社の農業用トラクターのキャタピラとシャシーを発展させることを提案し、フランス軍総司令官に直訴して、この提案に対する支持を取り付けた。こうしてシュナイダー兵器工業に開発が発注され、シュナイダー突撃戦車が誕生した。
 最初の提案では、1916年末までに200両のシュナイダー突撃戦車を納入することが求められていたが、開発は遅れ、ある程度の数が揃ったのは1917年中頃のことであった。この戦車は、基本的にはほぼ無改造のホルト製トラクターのサスペンションとキャタピラの上に、装甲ボックスを載せたものだった。装甲ボックスには、機関銃が両側面に1挺ずつ、短砲身75mm砲1門が前方の右側に寄せて搭載されていた。エンジンの出力は55馬力で、機関銃座の近くに設けられた2個のガソリン・タンクから燃料が供給された。
 最初に実戦投入された当時、シュナイダー突撃戦車はおよそ効果的とは言えない代物だった。短いキャタピラと長めの車体のため、障害物突破能力は極めて低く、車体前後に転倒防止バンパーを追加した後も大きな改善は見られなかった。装甲は薄く、また火災を起こしやすいことも重大な欠点であった。ガソリン・タンクは、被弾するとひとたまりもなく、多くのシュナイダー突撃戦車がたった1発の徹甲弾で炎に包まれた。

教育的な戦車

▲1916年、最終のキャタピラーテストを行うシュナイダーCA1。

 装甲兵員輸送ソリの構想は放棄されて、シュナイダー突撃戦車は主として歩兵支援に用いられることとなったが、路外行動能力が非常に低く、成功を収めることはできなかった。1917年5月までに300両程度が生産されたが、以後砲戦車の生産は取りやめとなり、弾薬輸送目的のシュナイダー補給戦車として生産されるようになった。この車両では右側の砲座が撤去されて、弾薬積載区画に通じるドアが設けられた。また、実戦の教訓を取り入れて、大部分の戦車の側面に8mmの装甲が追加され、最大装甲厚は11.5mmから19.5mmに増強された。
 結局のところ、シュナイダー突撃戦車の最大の功績は、実戦での教訓を重ねることにより、装甲車両の使用法や維持整備の仕方をフランス陸軍に教えたことだった。事実フランスは、1916年10月に最初の機甲学校をシャンプリューに設立している。それからまもない1917年4月のシュマン・デ・ダーム攻撃では、投入された132両のシュナイダー突撃戦車のうち76両が失われ、整備不良やスペア部品の欠如がいかに由々しき事態を招くかを、フランス陸軍は身をもって知ることとなった。
 シュナイダー突撃戦車の最後の車両は1918年8月に引き渡されたが、ルノーFT17との交代や損耗などによって、その時点で残存する車両は100両を下回っていた。残存車両の大部分は非武装の補給車両であったが、砲戦車型も1918年にいくつかの会戦で使用された。シュナイダー突撃戦車は、不安定で火災を生じやすいなど数々の欠点を抱えながらも戦い続け、フランス軍に装甲戦の何たるかを教える重要な役割を果たしたのである。

諸 元

シュナイダー突撃戦車

乗員:7名
寸法:全長6.00m、全幅2.00m、全高2.39m
エンジン:出力55馬力のシュナイダー液冷4気筒ガソリン・エンジン1基
重量:14.6t
性能:最大速度6km/h、航続距離48km

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2019/03/27


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