模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

アーチャー

【第81回】アーチャー <自走砲>


 アーチャーは、第二次世界大戦中のイギリスでヴァレンタイン歩兵戦車のシャシーを元に開発された対戦車自走砲である。 1944年10月に実戦配備され、以降は西部戦線やイタリア戦線で戦った。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


ヴァレンタインの転用

▲1956年、シナイ半島ラファに駐屯するアーチャー。

第二次世界大戦における戦車の火力競争で、イギリス陸軍は常にドイツ陸軍に後れ気味であったが、戦争初期に対戦車砲の口径を6lb砲の57mmから一気に76.2mmへと強化したことは、思い切った決断だった。当時はまだ6lb砲自体の生産が緒についたばかりだったからである。

 新型の76.2mm砲(その後まもなく17lb砲と呼ばれるようになる)を牽引式砲架に載せると、非常に重くかさばるため、機動力を確保するために新たな手段が必要となった。17lb砲を戦車砲として使用できれば理想的なことはわかっていたが、これだけの大型砲を搭載可能な戦車が実用化される見通しは遠く、実際にはまだ設計も完成していなかった。このため、イギリスは短期的な代替策を立案する必要に迫られた。
クルーセイダー戦車など、当時生産中の戦車が検討対象となり、結局ヴァレンタイン歩兵戦車のシャシーに白羽の矢が立てられた。すでに量産中だったヴァレンタイン戦車は、傾斜装甲板を持つ開放天井の上部構造物を車体前部に取り付けることにより、新型砲搭載車に迅速に転用することができた。砲/シャシーの組み合わせがノーズ・ヘビーになったり運動性不良とならないように、砲は旋回角の制限された砲座に後ろ向きで搭載されることになった。完全に戦車駆逐に特化したこの車両は、1943年3月から量産がスタートした。

究極の待ち伏せ兵器

▲アーチャー対戦車自走砲。

 ヴァレンタイン17lb自走砲を初めて目にした前線の兵士たちは仰天した。何しろ、主砲を後ろ向きに搭載した兵器など、それまでの常識では考えられないものだったのだ。戦闘区画の中央前方に着座する操縦手にとって、この配置は不評であった。彼らの頭の後ろには巨大な大砲の砲尾があり、発射の際には砲の閉鎖機構が後頭部のすぐ近くまで迫ってきたのである。乗員はこのほか、砲手、車長、装填手で構成され、自衛手段として7.7mmブレン・ガン(機関銃)1挺が装備されていた。
 ヴァレンタイン17lb自走砲が初めてヨーロッパの戦場に登場したのは1944年10月のことで、この頃にはアーチャーという愛称で呼ばれるようになっていた。アーチャーの戦車破壊能力はほどなく実戦で証明され、主砲を後ろ向きに搭載したことも、やがて長所と考えられるようになった。アーチャーは、身を隠しやすい低いシルエットを生かして、待ち伏せ戦法に用いられるようになった。敵戦車が接近してきたら、数発を発射して1両を破壊し、敵とは反対方向に前進して、敵が撃ち返すよりも早く逃げ出すことができた。アーチャーは、イギリス陸軍砲兵科の対戦車中隊に配備され、同じ中隊が装備する重く取り回しの厄介な牽引式の17lb砲よりも好まれた。
 終戦と同時にアーチャーの量産は打ち切られ、この時点までに発注数800両のうち655両が生産されていた。アーチャーはその後、1950年代中期までイギリス軍対戦車部隊の装備としてとどまった。
 残存車両はイスラエルのラトルン戦車博物館、オランダの国立オーバールーン歴史博物館、イギリスのボービントン戦車博物館で展示されている。

諸 元

アーチャー

乗員:4名
寸法:全長6.68m、車体長5.54 m、全幅2.76m、全高2.25m
エンジン:出力192馬力のゼネラル・モーターズ6-71 6気筒ディーゼル・エンジン1基
重量:16,257kg
性能:最大路上速度32.2km/ h、路上航続距離225km、登坂能力32°、渡渉水深0.91m、越堤能力0.84m、越壕能力2.35m

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2019/09/26


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。