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三菱局地戦闘機「雷電」(J2M) 

【第92回】三菱局地戦闘機「雷電」(J2M)  <戦闘機>


 雷電は、太平洋戦争末期に日本海軍が運用した局地戦闘機で、略符号はJ2M。「雷電」という名称は愛称ではなく制式名称であり、乙戦の場合は「雷」または「電」の字を含むことと定められていた。連合軍のコードネームはJack(ジャック)。

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雷電の誕生

▲アメリカ軍に接収された雷電の上面写真。

 中国の爆撃機隊により陸上基地に被害を受けた日本軍は、十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機)試作一号機を領収した直後の1939年(昭和14年)9月に三菱単独指名で「十四試局地戦闘機(十四試局戦)」)を内示、翌1940年(昭和15年)4月に「十四試局地戦闘機計画要求書」を交付した。これに呼応して、三菱は2機のJ2M1試作機を製造し、最初の機体を1942年3月20日に初飛行させた。J2M1は片持ち式低翼の単葉機で、引き込み式尾輪の降着装置を採用していた。
 しかし、この機体の開発は長期を要することとなった。当時はエンジンの生産が需要に追いつかない状態で、エンジンの選択肢が非常に限られていたためである。最終的には大直径で出力1,430馬力の「火星」一三型星形エンジンが選択され、機首先端をできるだけ細くするために、エンジンと減速ギアを長い駆動軸でつなぐ工夫が取り入れられた。
 ところが、飛行試験の早い段階で、J2M1の速度と上昇率は海軍の要求値に満たないことが判明し、その結果、さらに強力なMK4R-A「火星」二三型甲エンジンが搭載されて、名称もJ2M2に変更された。この型が1942年10月に量産発注を受け、後に海軍局地戦闘機「雷電」一一型として制式採用された。

雷電の各型

▲プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館所蔵の雷電二一型。

 J2M2には初期不良が続いたため、部隊に配備されたのは1943年12月のことであった。この頃には、J2M2とは搭載兵装の異なるJ2M3(「雷電」二一型)が生産に入っており、こちらが主量産型となった。
 その他の型には、J2M3の兵装を変更したJ2M3a(二一型甲)、1,820馬力の「火星」二六型エンジンを搭載した最終量産型のJ2M5(三三型)と兵装の異なるJ2M5a(三三型甲)、ターボ過給器付きエンジンを搭載したJ2M4(三二型、試作機2機のみで中止)、J2M3のコックピットを改修したJ2M6(三一型)があった。生産終了までに三菱は各型合わせて476機を製造した。
 J2Mは1944年から実戦に参加したが、終戦間近になるまで目立った戦果を挙げられなかった。しかし、日本の防衛圏が本土周辺まで狭められるに従い、アメリカ軍爆撃機の来襲に対抗する迎撃機として重要な役割を果たすようになった。
 フィリピンでアメリカ軍に接収された二一型初期生産機である鹵獲機「S12」を用いたテストでは、最高速度671 km/h(高度5,060 m)、上昇力5分10秒/高度6,100 m と日本側の諸元値を大幅に上回る結果を残している。テスト飛行したアメリカ軍のパイロットには好評で、日本機にしてはコックピットが広く、大柄なアメリカ人にとっても乗り心地が良かったからだと言われる。日本では問題視された振動や着陸性能の悪さも、アメリカの基準ではさして問題とされなかった。

諸 元

三菱局地戦闘機「雷電」二一型(J2M3)

タイプ:単座迎撃戦闘機
寸法:全幅10.80m、全長9.95 m、全高3.95m、主翼面積20.05m2
エンジン:出力1,820馬力の三菱MK4R-A「火星」二三型甲星形ピストン・エンジン1基
重量:自重2,460kg、最大離陸重量3,945kg
性能:最大速度595km/h(高度5,900m)、実用上昇限度11,700m、最大航続距離1,055km
兵装:20mm機関銃4挺、加えて60kg爆弾2発を機外の爆弾ラックに搭載

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp。

公開日 2020/08/31


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