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雲龍型

【第102回】雲龍型 <空母>


 「雲龍」型航空母艦は、先に建造された「飛龍」の図面を流用し部分的な改正を加えた日本海軍の中型航空母艦。艦橋位置の変更、エレベーターを2基とし大型化、舵を変更、対空兵装増強や対米戦の戦訓を反映した設備が増強された。

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「飛龍」を改良

▲竣工直前の「雲龍」 1944年7月。

 アメリカと同様に日本は、必要な時期に間に合うように適切な数の質の良い空母を就役させるには、標準設計によるシリーズ生産が唯一の方法であることを認識していた。このため、「飛龍」の基本設計に改良が加えられて単純化され、1941〜42年の戦時計画の下で、当初16隻の「雲龍」型の建造が複数の造船所に発注された。
 船体形状は「飛龍」の線図をほぼそのままで、構造も船体、飛行甲板共に「飛龍」と同じであり、寸法も同じ。ただ「飛龍」が装備した半平行舵は小舵角での旋回半径が大きいため、「蒼龍」の装備した並列2枚釣合舵に戻された。
 1番艦「雲龍」は1942年8月から建造が開始されたが、ミッドウェー海戦で失った空母の穴を埋めるには、より短期的な解決策が必要と判断され、さまざまな方法による既存の艦船からの改装が行われることになった。この作業に高い優先順位が与えられたため、「雲龍」型の計画は大幅に遅れることになり、結局は物資の欠乏によって中止された。この結果「雲龍」型は、戦争中に3隻のみが完成し、他に3隻が進水するにとどまった。完成した3隻は「雲龍」(1944年8月)、「天城」(1944年8月)、「葛城」(1944年10月)であり、進水した3隻は、「阿蘇」、「生駒」、「笠置」であった。

設計上の相違

▲1939年7月5日に完成した飛龍。雲龍型は先に建造された飛龍の図面を流用し部分的な改正を加えたもの。

 「雲龍」と「飛龍」の設計上の主な相違は、「雲龍」のエレベーターが「飛龍」より1基少ない2基だったことと、主兵装の配置が異なっていたことである。「雲龍」型は「飛龍」と全長はほぼ同じであったが、前者のほうが飛行甲板の横幅が大きく、このためより復原性に優れていた。それにも関わらず、理由は不明ながら航空機の搭載数は「雲龍」型のほうが少なかった。「雲龍」型は、大きさの割には重要部分がよく防御されており、すべての日本の大型「正規」空母と同じく、後期の重巡洋艦型と同じ推進器を搭載したことにより、優れた速力を有していた。しかし、深刻な物資不足のため、進水した艦のうち2隻は、駆逐艦用の推進器2基を搭載せざるを得なかった。これによって出力は3分の1減少したが、速力の減少は2ktだけであった。
 「雲龍」は1944年12月に、アメリカの「ガトー」級潜水艦「レッドフィッシュ」の放った2発の魚雷を受けて東シナ海で沈没した。また、「天城」は1945年7月の呉空襲の際に沈没し、「葛城」は生き残って降伏した(1947年に解体)。

諸 元

雲龍型

排水量:基準17,150t、満載22,550t
寸法:全長227.4m、全幅22.0m、吃水7.8m
推進器:(「雲龍」)ギアード蒸気タービンで152,000馬力を供給し、4軸を駆動 (「阿蘇」および「葛城」)ギアード蒸気タービンで104,000馬力を供給し、4軸を駆動
速力:(「雲龍」)34kt(63km/h) (「阿蘇」および「葛城」)32kt(59km/h)
装甲:舷側25〜150mm、甲板55mm
兵装:12.7cm連装両用砲6基(12門)、25mm対空機関銃51〜89挺
搭載機:65機
乗員:1,100名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2021/06/23


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