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信濃

【第103回】信濃 <空母>


 「信濃」は、日本海軍の航空母艦。艦名は旧国名の信濃国から採られた。マル4計画にもとづき横須賀海軍工廠で1940年5月に起工した大和型戦艦3番艦を戦艦から航空母艦に設計変更したものである。 第二次世界大戦の最大航空母艦だった。

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戦艦から空母へ

▲1944年11月11日、東京湾にて公試航行中の「信濃」。 取り舵をとっているため、右舷に傾斜している。

 ミッドウェー海戦で、日本はアメリカの空母艦載機による攻撃のみによって空母4隻を失うという壊滅的打撃を受けた。この出来事は、日本軍に空母が戦艦よりも有用であることを気づかせたのみならず、空母の数を緊急に増やさなければならないことをも認識させた。こうして多くの野心的な空母転換計画が行われることになったが、その中でも「信濃」ほど強い印象を与えた艦はない。未完成であった「大和」型戦艦の3番艦から創り出されたため、満載排水量が72,000t近くもあり、この数字は戦後アメリカのスーパーキャリアが出現するまで凌駕されることはなかった。戦艦として起工された船体には、すでに190mmの装甲が施された甲板と、同程度の垂直防御が備わっていた。そして艦の大きな横幅(バルジによってさらに広げられた)は、飛行甲板のほぼ全面にわたって装甲を75mmにすることを可能にした。
 「信濃」の飛行甲板の全長は、排水量が「信濃」の半分にも満たない「大鳳」より1m以上も短かったが、幅ははるかに上回っていた。「信濃」は攻撃空母として行動するには速力が遅すぎると見られていたため、カタパルトも装備されず、当初はわずか18機からなる航空部隊を搭載する予定であった。完成時には47機を搭載することとなったが、それでもまだ少ないと言わざるを得ない。要するに艦の大きな積載能力は、主として第一線空母のための修理および再補給設備として使うことと考えられたのである。

短い艦歴

▲「信濃」を建造した横須賀海軍施設六号ドック。

 「信濃」は、一体化した煙突と艦橋を有していたが、小型艦で採用されたイギリス式の「ハリケーン・バウ」は装備していなかった。だが「信濃」に欠陥があったとしても、実戦でそれが問われることはなかった。「信濃」は、1944年10月に日本海軍艦隊がレイテ湾で事実上壊滅したときにはまだ完成前で、11月に空襲を避けるため、最終艤装のため横須賀から呉に移動することになった。ところが、第十七駆逐隊(「磯風」、「浜風」、「雪風」)に護衛されて航行中、信濃は紀伊半島潮岬沖で米潜水艦「アーチャーフィッシュ」の魚雷攻撃を受ける。
 日本側は「アーチャーフィッシュ」の存在には気付いており、午前3時5分には信濃が第十七駆逐隊に潜水艦警報を発し、同隊も潜水艦と思われる電波を傍受したが、位置は特定できていなかった。「アーチャーフィッシュ」が発射した4本の魚雷が命中し、まだ防水区画が完成していなかった「信濃」は修復不可能な浸水に見舞われて、11月29日に沈没した。

諸 元

信濃

排水量:基準62,000t、満載71,900t
寸法:全長266.0m、全幅38.0m、吃水10.3m、飛行甲板256.0m×40.0m
推進器:ギアード蒸気タービンで150,000馬力を供給し、4軸を駆動
速力:27kt(50km/h)
装甲:舷側160〜270mm、飛行甲板75mm、格納庫甲板190mm
兵装:連装12.7cm両用砲8基(16門)、25mm対空機関銃145挺、28連装対空ロケット発射機12基
搭載機:18機(後に47機)
乗員:2,400名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2021/07/26


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