【第106回】利根型 <巡洋艦>
「利根」型重巡洋艦は、旧日本軍の重巡洋艦。太平洋戦争直前に竣工し、同型艦は2隻。水上偵察機を6機搭載するなど航空索敵能力を重視し、ミッドウェイ海戦やレイテ沖海戦など、数々の海戦に参加した。
偵察飛行艇を搭載
「利根」型は、もともと「最上」型巡洋艦の5、6番艦として、「最上」型巡洋艦の3連装砲塔5基からなる15.5cm砲15門の兵装を、8,500tの船体に搭載しようとしたものである。「最上」型では、設計時の排水量8,500tが、建造の間に11,000tに増大しており、この排水量の増加は、ロンドン軍縮条約によって課されたトン数制限の中で、最大の攻撃および防御力を持たせようとした日本の決意から生じたものとも言える。しかし「利根」の建造中に日本が条約の順守を放棄したことによって、同艦はこの互いに相容れない要求仕様からは救われ、最大8機の偵察飛行艇を搭載する偵察巡洋艦に変更されることとなった。計画開始時が軽巡洋艦であったために、艦名は川の名にちなんだものとなっている。
「最上」型が15.5cm砲を20.3cm砲に取り替えたのと同じように、「利根」型も20.3cm砲を搭載して完成した。日本はこの砲のための3連装砲塔を開発することができず、「利根」型は連装砲塔4基で計8門の砲を装備した。
このように、対空警戒を目的としていたはずの艦の設計に強力な対水上艦装備を搭載するというのは日本の典型的なやり方で、主砲をもっと軽量にし、その分の重量とスペースをより多くの対空兵器を積むために回したほうがよかったという見方もある。「利根」型では、一斉射撃における砲弾の散布界を小さくし、また装甲を減らしても防御力が落ちないようにするため、砲を艦の前部に集めるというユニークな配列が採用されていた。
ゆったりした艦内
後部に砲塔がないため、「利根」型は日本のほかの巡洋艦と比べて非常に艦内がゆったりとしており、乗組員に好評であった。しかし、日本海軍の上層部では「利根」型を失敗と見ており、「偵察巡洋艦」の概念を支持しなかった。「利根」型には、計画通り8機の航空機が搭載されたことはなく、航空機の最大運用数は6機であったが、通常は5機しか搭載されていなかった。そして1944年までにはこれが2機または3機に減らされ、普通の巡洋艦と変わらなくなっていた。
航続力も日本巡洋艦中最大で、利根、筑摩ともども対米戦初期の真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦といった機動部隊の長駆行動作戦に参加、索敵機を飛ばしているが、一方で速度の遅い水上機に索敵させていたことは、問題があったことであり、ミッドウェイ海戦では利根の索敵機が、敵の直掩戦闘機を恐れて敵艦隊に近づけないため、敵空母の有無の判別に時間がかかり、攻撃隊発進の遅延の原因となっている。
姉妹艦の「筑摩」は、ソロモン沖における猛烈な空爆に生き残ったが、1944年10月25日のレイテ沖海戦で1発の航空魚雷が命中して行動不能になり、駆逐艦「野分」によって処分された。
「利根」は、1945年7月28日に呉の近くでアメリカの航空機の攻撃を受けて沈没した。
諸 元
利根型
同型艦(進水年):「利根」(1937)、「筑摩」(1938)
排水量:基準8,500t、満載15,000t
寸法:全長201.5m、全幅19.4m、吃水10.9m
推進器:ギアード・タービンで152,000馬力を供給し、4軸を駆動
速力:33kt(61km/h)
装甲:舷側100mm、弾火薬庫145mm、甲板31mm、砲台25mm
兵装:(設計時)3連装15.5cm砲5基(15門)、(近代化改装後)連装20.3cm砲4基(8門)、連装12.7cm対空砲4基(8門)、25mm対空機関銃8〜12挺、61cm魚雷発射管12基
航空機:5機
乗員:850名
(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp
公開日 2021/10/22
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