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ドレッドノート

【第122回】ドレッドノート  <戦艦>


 「ドレッドノート」は、イギリス海軍の戦艦で、同名の艦としては6隻目。同型艦はない。ドレッドノートは「勇敢な」「恐れを知らない」を意味し、本艦は弩級戦艦という単語で象徴され、世界中に建艦競争を引き起こした。

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イギリスの単一巨砲艦

▲1906~07年頃、右舷甲板の端から錨を吊るして航行中の「ドレッドノート」。

 イギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」は、1906年12月に就役。世界初の単一巨砲搭載戦艦であると同時に初の全タービン推進の主力艦でもあった。兵装については、基本的に革新的なものは何もなく、イタリア、イギリス、アメリカでも同様の基本概念に基づく艦が構想されていた。しかし、現実に「ドレッドノート」が出現したことで、戦闘艦の進化は一つの転換点を迎えたのである。
 イギリスにおける「単一巨砲艦」の主たる提唱者は“ジャッキー”フィッシャー提督で、彼はポーツマス造船所の造船部長W・H・ガードとともにこの構想の開発に当たった。フィッシャーの最初の考えは、当時12in(305mm)砲よりも発射速度の高かった10in(254mm)砲を使うことだったが、破壊力のより大きな12in砲を勧める部下たちの意見を入れて、フィッシャーが海軍第一軍事委員になった1904年10月までに、12in砲を採用する方針を固めていた。1904年12月、設計委員会は、速力21kt(39km/h)で、適切な装甲を備え、兵装は12in砲と対水雷艇用砲のみで従来の副砲は持たない戦艦の計画を依頼された。種々の案が考えられたが、最大の難問は、舷側ではなく艦首尾線上の砲を増やすこと、そして防御を犠牲にしても速力を向上させることを求めたフィッシャーの要求だった。結局、タービン推進器と、艦首尾線上に3基と舷側に2基の連装砲塔に10門の12in砲を備えた「H」設計の戦艦が、「ドレッドノート」の基礎となった。

迅速な建造

▲石炭と重油を燃料とするパーソンズ製タービン4基が推進力の「ドレッドノート」。

 「ドレッドノート」は、1905年10月に起工。その火力に加えて、建造に366日しかかからず、1906年2月に進水したことで世界を驚愕させた。この短い工期を可能にしたのは、一つにはポーツマス造船所の技術の高さと効率の良さであり、もう一つは「ロード・ネルソン」級用に製造された既存の砲台を使用できたことであった。砲は、1発の命中弾で2つ以上の砲台が使用できなくなる危険性を減らすために、間隔をあけて配置され、片舷斉射できる8門の砲が、「連装砲塔のない艦でも、艦首尾方向に射撃できる砲を最低4門持つ」というフィッシャーの主張どおりに装備された。軽武装は、後に12lb砲(76mm)10門、12lb対空砲2門、3lb砲(47mm)2門に変更された。当初はまともな射撃指揮装置がなかったが、1915年に方位盤を装備して改善された。
「ドレッドノート」の第一次世界大戦における経歴はきわめて平和なもので、戦闘で水上目標に向かって発砲したことは一度もなかった。
 第一次世界大戦では、最初の二年間は北海の第4戦艦戦隊に所属し、1918年3月から8月まで、グランド・フリートに復帰し、戦後はロサイスで予備役となり、1920年3月31日に退役した。同艦は1921年に売却され、1923年に廃棄された。

諸 元

ドレッドノート

排水量:基準18,110t、満載22,845t
寸法:全長160.6m、全幅25.0m、吃水9.4m
推進器:蒸気タービンで26,350馬力を供給し、4軸を駆動
速力:最大速力21.6kt(40km/h)
最大航続距離:速力10kt(19km/h)で12,600km
装甲:舷側203〜270mm(端に向かって103〜152mmまで薄くなる)、甲板19〜102mm、隔壁270mm、砲台102〜270mm、砲塔76〜270mm、司令塔203〜270mm
兵装:連装305mm砲5基(10門)および12lb砲(76mm)27門、457mm魚雷発射管5基
乗員:773名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp。

公開日 2023/02/24


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