【第34回】妙高 <重巡洋艦>
妙高型重巡洋艦は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は4隻で、那智級重巡洋艦と表記されたこともある。ワシントン海軍軍縮条約に基づき建造された10,000トン級重巡洋艦であり、青葉型重巡洋艦の発展型といえる艦型であった。同型艦には妙高のほか那智、足柄、羽黒がある。
魚雷の増強
妙高型重巡洋艦は、当初は八八艦隊計画案における20cm砲10門7200トン巡洋艦として計画されていたが、ワシントン条約が締結されるにともない、基準排水量制限10,000トン内で最大の攻撃力と防御力を併せ持つ有力な艦が要望されるようになる。軍令部案では20cm砲8門・61センチ魚雷八門で35.5ノットの要求であったが、魚雷兵装の坑堪性への危惧から魚雷全廃の代わりに主砲10門艦への試案が提出され、1923年、補充艦艇製造費で1924~1925年に4隻が建造される事となった。先に建造された青葉型とは異なって、妙高型巡洋艦は約10%長くなり、以後10年間にわたって日本の巡洋艦建造の特徴となる非常に精悍なシルエットを導入した。以前の型に比べると幅が広い「妙高」型の艦は、20cm砲10門を装備し、それに釣り合った防御力を有している。大部分の同種の艦と同様、その外観は欧米人の目には奇妙に映るが、船体は強力に作られていて、撃沈するのは極めて難しいことを実証した。
日本帝国海軍の攻撃的な戦術ドクトリン(少なくとも最初のうちは大きな成果をもたらした)によって、第二次世界大戦開始の直前に61cm魚雷発射管が16基に増やされたが、その結果、重心が限界まで高くなった。戦争の後半になって対空火器の増強が緊要になると、魚雷は削減された。
妙高型の最期
忙しく戦闘に従事した大部分の日本の巡洋艦と同じく、妙高型は敵との戦いでひどい損傷を受けた。珍しいことに、同型艦4隻のうちの2隻はイギリス海軍によって沈められており、足柄は潜水艦の魚雷によりバンカ水道で沈められた。
羽黒とともに行動して、1942年の初めにジャワ海でABDA(米英蘭豪)の巡洋艦部隊に打撃を与えた那智は、1944年11月にレイテ沖でアメリカ海軍の空母機の攻撃を受けて撃沈された。羽黒はジャワ海、スンダ海峡およびサマール島沖海戦で戦い、ミッドウェー、エンプレス・オーガスタ湾および第2次ソロモン海戦でも生き残った。しかし、1945年5月にアンダマンの守備隊をマレー半島に転進させるための輸送に従事していた羽黒は、ついにマラッカ海峡でイギリス海軍に捕まった。羽黒は第26艦隊の駆逐艦5隻の隊となっての攻撃を受け、最初の魚雷を回避しているところに2発目の魚雷が命中して沈没した。よみがえりつつあったイギリス太平洋艦隊にとって、この撃沈は格別に喜ばしいことだったに違いない。
妙高は1944年6月のマリアナ沖海戦、10月中旬のレイテ沖海戦等に参加する12月13日、レイテ沖海戦での損傷修理に日本本国に戻るため駆逐艦潮を護衛にサイゴン沖を航行中のところを米潜水艦の夜間雷撃により艦尾を切断した。航行不能となった妙高はシンガポールに曳航された。
諸 元
妙高型(改装後)
同型艦(進水年):妙高(1927)、那智(1927)、足柄(1928)、羽黒(1928)
排水量:13,000t基準
寸法:全長203.7m(水線長)、全幅20.7m、吃水6.3m
推進器:130,000馬力の蒸気タービンで4軸を駆動
速力:33.5kt
装甲:舷側100mm、甲板65〜125mm、砲台40mm
兵装(建造時):20cm連装砲5基(10門)、12.7cm副砲8門、25 mm対空機関銃8挺、61cm 魚雷発射管16基
搭載機:水上機3機
乗員:814名
(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp
公開日 2015/10/23
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