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ラングレー

【第95回】ラングレー <航空母艦>


 「ラングレー」は、アメリカ海軍が保有した最初の航空母艦で、プロテウス級給炭艦「ジュピター」として就役したが、 1920年(航空母艦に改造され、1922年に再就役した。最大速力15ノット程度の低速のため艦隊行動ができず、練習空母としてもちいられた。

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ジュピターからラングレーに

▲1924年に撮られた「ラングレー」。

 第一次世界大戦末期に海軍航空機の潜在能力が存分に示されると、アメリカ海軍は空母の建造を強く要望した。しかし空母を新規に建造する前に、実用経験を得る目的で試験を行う必要があり、そのための最も迅速かつ安価な方法は既存艦を改修することであった。
 1920年3月、大型給炭艦「ジュピター」(AC-3)の改装が開始された。翌月に艦は「ラングレー」(CV-1)と改名され、評価試験が1922年7月から開始された。同艦は平甲板型で、2基のヒンジ付き煙突が左舷に設けられた。以前の石炭貯蔵庫は作業区画、居住区画および倉庫に改修され、上部甲板は格納庫となった。「ラングレー」の最大の欠点は速力が低かったことで、7,150馬力のターボ・エレクトリック機関では決定的に出力不足であった。同艦の速力はわずか14kt(35km/h)で、攻撃艦隊より7kt(13km/h)近くも遅い。このようなハンディキャップを抱えながらも「ラングレー」は5年間艦隊で行動し、1928年からは「レキシントン」および「サラトガ」の両空母にその役割を譲った。
本来24機の航空機を運用するよう設計されていたが、「ラングレー」の格納庫は大容量で、最大33機を格納することが可能であった。「ラングレー」は1936年まで艦載機の運用を継続していたが、その後水上機母艦に改修され、新たにAV-3と分類された。改修後「ラングレー」は1937年に再就役した。飛行甲板は前部が撤去されて短縮化されていた。

試験艦

▲甲板一杯に水上機を搭載した「ラングレー」。1936年からは前部飛行甲板が撤去され、水上機母艦として運用されていた。

 「ラングレー」は海軍航空機に数多くの貢献をしたが、その中でも最も重要なものの一つに、さまざまな着艦装置システムのテストを行ったことが挙げられる。当初同艦に採用されていたのはイギリス式の縦方向制動索方式であった。これは航空機の降着装置に取り付けられたフックにより制動する方式で、横滑りを抑制する働きがある。しかしアメリカ海軍は、これに予備システムとして横方向制動索を加えた。なお、ワイヤの端には砂袋を吊るして反発力を生み出していた。結果的にこのシステムのほうが効果的であることが証明され、近代空母の着艦システムの基礎となった(今日では油圧式の着艦システムが使用されている)。
 他の新機軸としては、飛行甲板上の埋め込み式圧搾空気カタパルトが挙げられる。これは当初水上機用として装備されたものだが、後に通常の航空機の離艦速度の増加に利用できることがわかり、着艦装置と同様、現在でも標準装備として使用されている。
 このベテラン空母は短期間ながら第二次世界大戦にも参加して、航空機運搬という地味な任務に投入された。しかし1942年2月27日、「ラングレー」はジャワ島のチラチャップに向かうところをバリ島から発進した日本海軍の爆撃機に発見され、5発の爆弾を受けて沈没した。

諸 元

▲1942年2月27日、「ラングレー」の最後。

ラングレー(CV-1)
排水量:基準11,050t、満載14,700t
寸法:全長165.3m、全幅20.0m、吃水7.3m
推進器:蒸気ターボ・エレクトリック機関で出力7,150馬力を供給し、1軸を駆動
速力:14kt(26km/h)
装甲:なし
兵装:127mm対空砲4門
搭載機:(1923年)戦闘機30機
乗員:410名(士官および下士官)

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2020/11/26


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